2016/05/09
眞子内親王殿下、御鑑賞

5月7日(土)、初日を迎えたヒューマントラストシネマ有楽町での初回上映に、眞子内親王殿下がご臨席され、映画をご鑑賞になりました。

 

眞子内親王殿下の御入場

 

眞子内親王殿下と乾弘明監督

眞子内親王殿下は、東日本大震災後にご身分をお隠しの上東北にボランティア活動に何度か行かれていたため、ぜひご鑑賞いただきたいとお願いをしまして、今回のお成りが実現いたしました。

 

眞子内親王殿下と話された乾監督によると、女川町の隣に位置する石巻市の小学校にボランティアに行かれたことについて、「子ども達がとても元気で力をもらいました。(東日本大震災について)ニュースで見るのと、実際に行って体験するのは違いました。」とおっしゃったとのことです。

 

また映画ご鑑賞後は、「皆さんが前向きに生きている姿に力をもらいました。家族や友人にもおすすめしたいです」とおっしゃってくださいました。

 

以下は、映画上映後の舞台挨拶のレポートです。

舞台挨拶

<初日を迎えて>

乾弘明監督「熊本で大きな地震がありまた。またこの映画と同じような想いをされている方がたくさん出てしまいました。ただ、日本は地震大国です。それに対してどう対応していくのかという一つの記録としてこの映画をご覧いただければと思っております。」

 

石森洋悦さん(女川町在住・女川町魚市場買受人協同組合 副理事長)「この映画を観るのは3回目ですけども、自分が出ている場面は非常に汗がでてきます。」

 

阿部美奈さん(女川町出身・芸人)「私も石森さんと一緒で自分が映っているところは目を隠したくなるような粗さがあったのですが、私が出ているところ以外は涙、涙でずっと泣いていました。この日をずっと楽しみにしておりました。」

 

益田祐美子プロデューサー「映画の企画が立ち上がってから3年目でようやく完成しました。皆さんの心からの協力でようやく完成したことをありがたく思います。」

 

乾弘明監督

乾弘明監督[映画製作のきっかけ・背景について]「そもそも、カタールの資金によってマスカ―という大型冷凍冷蔵庫が女川町に出来て、そこに奔走された方がいて、ドラマがたくさんあったんですね。建設の過程や、デザインもそうです。カタールからの支援をとりつけたのは、隣にいる石森さんが大変なご苦労をしました。そのお話しを最初映像化しようと思ったのですが、石森さんとお話ししているうちに、既にマスカ―は完成していたので、マスカ―を今メインで撮っていくよりも、今動いている女川の町と若者を撮ってほしいと、石森さんから言われました。それで途中で方向転換して、阿部淳(あべあつし)さんを中心に若い人たちを追っていくことになりました。」

 

石森洋悦さん

石森洋悦さん(女川町在住・女川町魚市場買受人協同組合 副理事長)[どのような気持ちで震災後マスカー建設に取り組んだか]「とにかく前を向くきっかけが欲しかったんですね。本当に何もなかったんです。ひどい状態でした。とにかく前を向いてもう一度やり直すんだと、中途半端なものではなく大きなものを作って夢と希望を与えたかったんですね。そういうきっかけが欲しいときに、カタールフレンド基金に資金援助をしていただき、建設することができました。マスカーが引き金となって、女川の町は大きく動き出したと思っています。」

 

[石森さんの自宅は津波で流され、今も仮設住宅にお住まいです。すべてを失う、という経験はどのようなものでしたか?]「今、全てを失ったと言いましたけども、本当に全てを失ったという人は、家族とか身内、親族を亡くした人だと思います。私が失ったのは物でしかありません。家族が皆生きています。生きてるから前を向けたんですね。私は全然失ってなんていないと思っています。私は『生かされた』と思いました。きっと俺が生かされたことは意味があるはずだから、お前何かしろと、亡くなった友人らから言われたような気がしまして、とにかく何かをしなければと思いました。その想いだけで5年間やってきました。」

 

阿部美奈さん

阿部美奈さん(女川町出身・芸人)[震災の前と後とではどういう変化がありましたか?]「私は高校生まで18年間ずっと女川町にいて、小さい町だから出ていきたかったという気持ちがあり、北海道の大学に行きました。だから女川は、帰ってくる場所だったのですが、震災後に町に何も無くなり、そこから何か作っていこうと動いている人たちを見て、私は何も考えないで生きていたと思わされました。そこから、自分が何ができるんだろうと考えて、動き出したように思います。」

 

[映画に出てくるお父様(故人)、どんなお父さんでしたか?芸人になりたいとお話しされましたか?]「(泣きながら)お父さんはすごく優しくって家族想いで、お父さんが何をしているのか、役場で働いているのは知ってたんですけど、仕事をしているところを見る機会がなかったので、この映画を見てこういう仕事をしていたんだな、と知ることができました。お父さんに芸人になるっていうことは言ってません…(笑)。」

 

[今は東京に住まわれて、『ジョリー惑星』というコンビを組んで、日々修業をしているとのことですが、実際に芸人の世界に飛び込んで、いかがですか?]「最近は漫才ではなくコントをやっています。やはり楽しいことをしたいと思ってこの業界に入りましたが、どこにいても厳しいなと感じてます。映画の中の自分のネタを見て『ああ』と思いながらも、前に進まないといけないし、あの時の私は一生懸命にやっていたのでよしとして、もっと面白くなれるように頑張っていきたいと思います。」

 

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[熊本地震について被災者の皆様に同じ震災経験者としてメッセージ]

石森さん「本当に、下を向いちゃダメなんです。下を向きたくなるのですが、とにかく前を向いて、やるしかないんです。(自分たちは)日本人だと、そう思えば本当に少々のこと乗り越えられます。やらなきゃだめです!とにかく頑張ってほしいなと思います。」「日本は災害の多い日本です。でもいつも言っているのですが、災害から立ち上がるのは、行動するのは、全て人間なんです。だから、自分の命は絶対に粗末に扱わないで下さい。命さえあれば、どんな状況下でも必ずやり直せます。命を本当に大事にしてほしいと心から思っております。」

 

阿部美奈さん「私も物をいろいろ失い悲しい気持ちがずっと続いているのですが、その気持ちを無理やり切り替えなくてもいいと思います。時間が経って立ち直る人もいますが、人それぞれです。でも失ったから気が付けることもあります。身近な人のありがたさや、家族のありがたさ。そういう小さな幸せを見つけて、今つらいと思うんですけど、頑張っていきましょう!という気持ちです。」

 

益田祐美子プロデューサー

益田祐美子プロデューサー[復興をテーマにした映画の製作を終えた感想]「ドキュメンタリー映画はなかなか興行が難しいんですけど、地震大国である日本が今後100年先まで、1000年先まで生き残っていくためには、この復興する力を記録に残して、また100年先に地震が起きたときにこの映画をみて、対策をたて光を心に灯すことが必要だと思いました。多くの人に観ていただきたいと思います。」

 

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乾弘明監督[最後にメッセージ]「女川はまだスタートラインに立ったところです。駅と駅前の商店街が一部できただけです。まだまだ復興は続きます。ただ、この映画に出てきた若手グループは、未来を見据えてグローバルな目線で今、震災前の女川を遥かに超えた町づくりをしようとしています。僕は信じているのですが、世界に向けて、日本の水産業・水産加工業の大きな1つの基地になるのが女川ではないかと思います。そのくらい彼らはすごいです。機会があればぜひ、女川のものを食べて下さい。宜しくお願いします。」

 

<舞台挨拶後>

登壇者全員で、眞子内親王殿下をお見送りさせていただきました。その際眞子内親王殿下は、阿部美奈さんに「芸人がんばってください」とお声をおかけくださいました。またお土産にお渡しした、映画にも出てくる女川の名産品、阿部淳(あつし)さんがお母さんと作るサンマ昆布巻き『リアスの詩(うた)』について眞子内親王殿下は、「おいしそうです。白いご飯と一緒にいただきたいと思います」とおっしゃいました。

 

眞子内親王殿下にご鑑賞いただいて、スタッフ・出演者一同心より感謝しております。ご協力いただきました皆様本当にありがとうございました。この場をお借りしてお礼申し上げます。

 

(撮影:冨樂和也)

 

 

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