それでも、人は立ち上がる。

まるで戦後の焼け野原から復興した日本そのもののように…

作品紹介

あまりにも多くを失ったマイナスからのスタート
カタールの援助が灯となった復興をゆだねられたのは若者達
泣いた、怒った、そして笑った!
荒れ野に芽吹いた小さな草が蕾をつけ
今、花開こうとしている

女川は流されたんじゃない
海の見える景色を残したまま新しい女川が誕生する!

女川復興の軌跡に迫る

宮城県女川町は牡鹿半島の付け根にある水産業の町。サンマの水揚げで有名だ。
石巻線の終着駅で、古くから天然の良港として栄えた美しい港町だった。
「あの日」までは…

この町の人々は、「あの日」2011年3月11日を何十年も何百年も語り継いでいくことになるだろう。住民の1割近くが犠牲となり、8割以上が住まいを失った。被災した全ての市町村の中でも、人口比では最も激烈な被害を蒙った町である。町の中心部は根こそぎ津波にのまれ、失うものは何もなくなった。

そんな絶望から、人はどうやって立ち上がるのだろう…。

最初の希望は、中東の国カタールによってもたらされた。古くは漁業で栄えたカタールは、震災直後に基金を設置し津波対応を施した冷凍冷蔵施設「マスカー」を建設。そして、小さな町だからできる独創的な発想と素早い行動、5年たった今でも寝る間を惜しんで復興にかける若きリーダーたち、その仲間が生み出す波及効果。人々の輪は町を飛び越え広がっていく。

女川は今、復興のトップランナーと呼ばれる。
震災前よりレベルアップした町づくり、そこに至る苦悩と喜びを見つめていく。

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